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掛け声だけに終わった『ドイツ・イデオロギー』対訳の試み

<独文の古典の編纂に挑む協力者募集>という標題を掲げていましたが、現れるはずもなく月日が経ち、YAHOOがサイト提供をやめるということで、閉じることにしました。<無謀さの>記録として以下に残しておきます

 

『ドイツ・イデオロギー』対訳の編纂

 

マルクス・エンゲルスの遺稿『ドイツ・イデオロギー』は、とりわけフォエルバッハに関する章は、マルクス主義者にとって格別な意義を持つ書であるにもかかわらず、草稿のありのままの状態は、一部の専門家を除いて一般には知られていなかったと言えます。現在インターネット上に公表されている版は、1932年のアドラツキー版と言われるものです。それは旧ソヴィエト時代、それもスターリン時代に発刊されたマルクス・エンゲルス全集の中にあります。それは、「テキスト異文」と呼ばれる草稿の修正状態を伝える文書を含むとはいえ、本文はアドラツキー編集部の解釈する書として編集されています。それは本文だけを読む限り分かりません。1960年代になって、そのことが批判され、草稿に則した編集版が現れましたが、アドラツキー版並の草稿の修正状況を伝える版は、1972年の新メガ試作版が初めてです。しかしこの版は一部の研究者に配布されたもので、正規の新メガ版は2009年をめどに作成中と言うことです。また、それはアドラツキー版と同じく本文を読む限りは、修正過程は見ることはできず、「異文明細」をひも解くことで初めて修正が分かると言うものです。

 

 日本では、1974年廣松渉編訳『ドイツ・イデオロギー』が著され、本文の中に修正過程を見ることができる工夫がなされたことで、世界をリードする初期マルクス・エンゲルス論が現れる基礎を築いたとされています。その故事にならい、いまだアドラツキー版しか公開されてない状況に鑑み、新メガを待つことなく、すなわち専門家の提供をただ待つのではなく、若きマルクス・エンゲルスの息吹を伝える版を、ネットに公開できる版を作ろう、と言う呼びかけです。

 

 独文の本文は、ネット公開を利用し、訳文のもとは著作権の切れた三木清版を利用すれば、ドイツ語に堪能であり、唯物史観の成立過程に関心を持つという共通項が有れば、対訳集の作成も可能ではないか。アマチュアでも何らかの貢献はできると言うものではないか、と考えます。

この意味は、エンゲルスが書いた“in Deutschland geübte”をマルクスが、“deutsche”に書き換えたと言うことです。その情報は、廣松渉編訳河出書房新社版から得ました。独文の修正状況は、他に、渋谷正訳本からも得ることは可能であるし、廣松版の元ネタはアドラツキー版・新メガ試作版にあるわけだから、著作権の問題は逃れることが可能と思われます。

 

問題はその訳文です。難題です。上記のような単語であればさほど悩むことはない訳ですが、ドイツ語構文にかかわる場合、語尾変化にすぎない場合、微妙に意味を変えたと見られる場合に、それを訳し出す技量が問われます。大問題ですが、そこにこそ、ネットでする共同作業の醍醐味があるのではないか!

 

ドイツ語を知らない者が掲げる、斯様な無謀な試みの呼びかけに答える人は居ないか!?<居ない>

 

下記に少しだけ三カ国語対訳のサンプルを挙げています。結構まめな作業が必要であることが判ると思います。

『ドイツ・イデオロギー』フォイエルバッハに関する章

 

序文... マルクスによってかかれた全体への序文

 

{1}... 唯一清書された稿:第一篇への序説

 

{1?}c,d~{2?}... 第一編A章の緒論の下書きあるいは異稿

 

{2}... 第一編A章の緒論前半

 

{6}... 第一編A章の緒論続きから本論へ

ドイツ語版サンプル フォイエルバッハ編

英語版サンプル フォイエルバッハ編

以下旧文で、最早不要ですが、

● このような試みを呼びかける理由です。渋谷正氏らが、岩波文庫版小林昌人補訳『ドイツ・イデオロギー』に対して、増版を続けることに批判を加えているからです。その基となった、廣松版がアドラツキー版と変わらないのだから、岩波文庫版もすでに役割を終えたものである、そんな批判を加えています。渋谷正氏の月刊『経済』(新日本出版社刊)に2004年3号にわたって掲載した論文を検討する論文を作成しました。追ってここに載せます。(2007.5.18)

渋谷正氏は、新しいマルクス・エンゲルス全集を作成中の国際財団に対して、自分はこの『ドイツ・イデオロギー』を編集できる、と明言しています。その編集部が出した先行版は、廣松版が示した本文中に削除・挿入を一目で分かるという形ではなく、本文は最終形のみで、削除などを知りたければ別文書を繙くと言う形のようです。渋谷正氏が主張する方式は、廣松版の改良(それもわずかな)ですが、それは財団に対する提案にすぎません。そこが私には理解できません。日本語訳を出し、それを『草稿完全復元版』と自称するなら、ドイツ語原文で出せば良いではないですか。廣松渉のようなネームバリューがないので出版社が見つからないかもしれませんが。

かつて存在した、マルクス主義の公式見解=『権威』を、新メガ財団に持たす必要はありません。人々の財産であるこのような古典は、自由に読めるだけでなく、提供のされ方においても、自由に批判が出されるべきではないでしょうか。

● 渋谷正氏の論文、月刊『経済』(新日本出版社刊)に掲載された「『ドイツ・イデオロギー』はいかに編集されるべきか(上)」(2004年1月号)、同(中)(2004年2月号)、同(下)(2004年4月号)における、廣松渉編訳『新編集版ドイツ・イデオロギー』および小林昌人補訳岩波文庫版への批判的言辞を検討します。

 残念ながら、『ドイツ・イデオロギー』の研究に資するというものではありません。しかし、書いた本人としては、大変時間がかかりましたが、渋谷正氏に対する批判とは別に、小林昌人氏が苦労して著したものであることを改めて確認できました。加筆修正をどう標記するか、どう言った脚注を付けるべきかを検討する題材になると考えます。

 

「 『ドイツ・イデオロギー』の編集問題とは何ですか」と題した文もPDFに直して、 記録しておきます。

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